MINATO_Akiraのブログ

ポストロック・バンド MINATOのギターAkiraのブログ。

積んでは崩れての繰り返し。

 

 

年の瀬に一昨年の初めに書いた文章を思い出した。

 
「昨年は、ひどく散漫な一年だった。」
 
 
その冒頭一文は自分への批判であり戒めのつもりだった。
昨年はどう生きて来れただろうか。
ひどく散漫という訳ではなかったとも思う。
が、しかし研鑽を詰めたかというとどうだろうとも思う。
 
 
新型コロナウィルスが猛威を奮う中、僕の生活は異様に変わる訳ではなく、しかしゆっくりと変化をもたらした。
川の流れのように上から下へと流れる訳ではなく、公園の砂場で子どもが落とした水のように様々な方へと流れる。
そんな感じ。
 
 
一つ目に、個人事業主から会社にした。
理由は多々あれど、コロナへの些細な僕の抵抗のようなもので、父親が取り扱っていた抗菌剤を継ぐ形で起業した。
僕の人生の中で憎悪の発端だった父親は、今はしょぼくれてただの爺さんだ。
それでもなお、僕が一緒に住みたくないと思う理由を持ち続けているのだから、いや十分にそのエネルギーは持っているのかもしれない。
その父親から借りた褌で起業をする気なんて更々なかったが、心変わりはあるものだ。
「おかげ」とは思っていないが、コロナ渦にならなければそんな事も起こり得なかっただろう。
自分のプライドを天秤にかけた時、「そんなこと言ってられねぇ、必要とした人がいるなら届けたい」と思ったのが率直な思い。
とはいえ、親父そのものも大企業の社長とかではなく、鳴かず飛ばずだった人だ。
商品そのものは良いとは思っているが、その展開は前途多難だ。。。
 
 
そして、その中で僕とパートナーがやはり特殊な仕事を生業としていることに、一般的な社会能力のなさに否応なく直面した。
 
今まで「モノを作る」仕事をしていたからこそ「モノを売る」とはさっぱりだ。
マーケティングとはなんだ?というレベル。
エクセルもろくに使えない。
数字に弱い。
勿論、アイデアは出せるし、デザインが作れたり、構成も考えたり、ある種一般的な会社が外部発注する「クリエイティブ」な面はフォローできていると思う。
しかしながら、「商売」はど素人な訳で、来年はもう少ししっかりしなければと猛省に至る。
起業した会社の9割は10年も満たずに倒産している。
起業してから気づいたが、「就職」という選択肢がなくなっているわけで、社会的にも代表としての責任もある。
一年でも多く、会社を存続できるように努力をしよう。
反面「知ったこっちゃねぇよ。やりたいことしか、やりたくないよ」という自分もいるので厄介なのだが。。。
まぁ、来年は資格の一つでもスキルの一つでも身につけようと思う。
 
 
2つ目に、バンドを少し動かすことができた。
久しぶりに曲も作り、スローペースではあるが動いている。
完全に止まってしまうと水と同じで腐ってしまうわけで。
生きてさえいればいいとも思える。
最近、MINATOは生き物のようだなと思う。
仕事/生活/時間/金/人間関係、etc...メンバー個々を取り巻く環境の中で、時に積極的に、時に怠惰に動いている。
僕を含めメンバー誰かという話でもない。
バンドそのものの動きがそんなように感じる。
今のバンドはどうだろう。久しぶりにライブをやったら爆発しそうな気もするし、てんでダメな気もする。
個人的には7:3くらいかな。
今はその蓋を開けるのが楽しみだ。
もうこの時点で「次のライブは成功させる!」とか、僕の意思とかそういうのじゃない。
一種の集合体。まぁ、大人が3人集まっているわけだから、それもそうか。
不思議な拠り所だ。
 
 
3つ目に、映画を少し撮った。
「形にしたい」と言ってたことを少しだけ実行できたと思える。
しかしながら、やればやるほど自分の能力のなさに辟易とする。
そりゃそうだろう。やらなきゃわからないんだから。
そうやって挫折して、辞めたいなと思いながら、喉元過ぎれば「こういうの作ったら面白そう」と思ってしまうのだから救いようがない。
「業」のようなモノだと受け入れるしかない。
 
僕の生き方に、憧れというにはおこがましいが、興味を持ってくれる人がいる。
音楽・映像・料理なんでもいい。
大変嬉しくも、煩わしい、「私も/僕もやってみたい」という言葉。
そんな気持ちに肯定的な立場で言えば、「どんどんやりな!楽しいよ!」とも言う。
これは本心から思う。大変嬉しい。
否定的な立場で言えば「やれるもんならやってみろ」とも思う。
これもまた本心だろう。
 
「何かしたい」「やりたい」「クリエイティブな事がしたい」
そういう思いは大歓迎。素直に嬉しい。
さて、そこから行動に移す人の少なさよ。継続できる人の少なさよ。
やる前から、自分の理想を作っては手を出さない。自分には無理だと諦める。
何かに理由をつけてやらない。
下手くそでダサい自分を知りたくなく、「可能性」だけに酔っている。
 
 
「本当はやりたいんだけど」
本当ってなんだ。
やりたいならやればいい。ただ、それだけの事。
 
 
僕がそういう風に落胆・嘲笑してきた人達に僕自身なっていたのかもしれない。
冷静に考えて映画を撮ったのは4年ぶりだった。
今年はモノを作った。そして己が能力のなさに愕然とした。
この業のスピードを早めたいと思う。
僕は無力だし、無能だ。
何度も何度も作っては失敗して、行動しては自信無くなって、歩けなくなって、その繰り返し。
最近は心の底から「才能」が欲しいと思う。
 
でも、もしかしたら才能ある人達は、その業を誰よりも多く経験しているのかもしれない。
とはいえ、誰がみても天賦の才を持っている人もいるわけで。
天は二物も三物も与えているのが事実じゃないか。
悔しいけれども、落胆して絶望するのだけれども、それでも業から抜け出せそうにない。
そうであれば業と共に回り続けるしかない。
くるくるくるくると。
 
「吐くまで踊る。悪魔と踊る。」
銀杏BOYZが無性に聴きたくなってしまう。
才能に溢れる峯田さんの楽曲に結びつけるのは烏滸がましいな。
大変失礼した。
 
 
2020年という一年を過ごして、久しぶりにフラットな感覚になっている。
この先が一才見えない。
来年は何かできそう気もするし、あえなく腐っている気もする。
あわよくば死んでいたとしても、それはそれとしていいとも思う。
反面強く、2022年を胸はって迎えたいとも思う。
己が無力さを認めた上で、初心に戻れた。
良くも悪くも、迷っている自分を受け入れることができた。
所詮、お前なんて「迷子だ」、と。
 
「とにかく、やれ」
2021年の自分にはそう言いたい。
積んでは崩れての繰り返し。
劇的な成長なんてできないのだから、無様な姿を笑われても仕方がない。
いい歳して他人の目にびびってんじゃないよ。