一生忘れられない場所。
先日、僕が七年程前に立ち上げたシェアハウスが解散した。
僕が大学3年生になった春から住み始めて5年、友達に運営を引き継いでもらってから2年が経っていた。
元々は1人の友人と別のところで、ルームシェアをしていて「どうせ引っ越すなら一軒家とか広いとかがいいな」と話してたのが始まり。
ただ、僕の中にはもう一つ思いがあって、それは母親、「オカンの為」だった。
当時、オカンはずっとガンを患って闘病していた。
それなのに、父親とは仲が悪く喧嘩ばかりして、実家の生活がストレスになっていた。
そして、僕は末っ子でオカンに可愛がられているのにも関わらず、高校卒業と同時に家を出た。
原因は、実家が嫌いだったこと。地元にも辟易していたこと。
とにかく外に出たかった。
その時からオカンは大好きだったが、それでも実家に地元に残りたいとは思えなかった。
高校生の時、一度だけ、
「本当に親父が嫌いなら離婚しなよ。就職して、働いて、医療費も含めてオカン1人くらい養えるよ」
そう、オカンに言ったことがある。
オカンは嬉しいと言いながらも
「でも、その後オカンが死んだらどうするん?オカンは絶対あんたより先に死ぬよ。
あんたはあんたのやりたい事やりな」
そう、言われた。
強い人だなと、そして子供のことを、僕のことを心底考えてくれているんだな、と。
そう思った。
何度も「やっぱり地元の大学じゃダメ?」とか言っていた。
たまに帰省した時は「寂しい…」と言って、帰ろうとする僕の裾を掴むような人だった。
一緒に暮らしたかったのは明白だった。
だけど、オカンの言葉もあったからこそ、僕は家を出た。
そして、家を出てから4年後。
ルームシェアができる友達もでき、シェアハウスを立ち上げようというときに、オカンの事を話した。
シェアハウスだけど、できれば一緒に、オカンと住みたい、と。
友達の母親と一緒に住むなんて気をつかうし、普通は断るのかもしれないが、友達は快く承諾してくれた。
今でも、本当に感謝している。
ただ、皮肉なことにいざシェアハウスを立ちあげ、オカンが引っ越して2ヶ月も経たずに、オカンは逝ってしまった。
56歳だった。
早いな、とは思う。
それでも、僕はその2ヶ月があったからこそ、後悔しないで今も過ごせている。
もしも、家を出たままで、実家からオカンの危篤を知って、帰省して数日後に看取るなんてことがあったのなら、僕はずっとずっと引きずっていると思う。
最後の2ヶ月、本当に楽しかったなとも思う。
どんどん弱っていくオカンを見るのは辛かったけど、母親の看病というものの切なさもあったけど、やはりオカンといれたのは幸せだった。
あの時間があったからこそ、今の僕がある。
そんな思い入れのあるシェアハウス。
きっかけは「オカン」だった。
だけど、その後にも色んなことが起きた。
一緒にシェアハウスを立ち上げた友達が連れてきたT君。
これがまた、しょうもないギター小僧で世の中を何も知らず、金もろくになく上京してきて
「1ヶ月だけ住まわせてほしい!」と言ってから、
最終的に6年近く住んでいた。
僕から運営を引き継いだのもT君。
あれから、随分大人にもなったし、今となっては家族のようにも思える。
頻繁に遊んだりはしないけど、ずっと気がかりな、息子のような兄弟のような従兄弟のような、そんな存在。
あの家に来てくれてありがとう。
言葉にならない。
また、そのT君が遊びに連れてきたKは、僕のバンドメンバーになった。
僕が料理しながら何気なく曲を流していたら「nujabes好きなんですか!?」と始まり意気投合。
あっという間にスタジオに入って、初めは「サポートメンバーなら」ではじまったのに、スタジオ代も割り勘だし、終いには曲作りも参加するようになっていた。
ある日、僕が「……スタジオ代も割り勘でさ、、、曲作りも参加してさ……
予定も合わせてってなったら、それもう普通にメンバーじゃない?笑」と言ったら、
「……あ、本当だ。そうっすね!笑」と言って、気づいたらメンバーになっていた。
話は盛るし、つかなくていい余計な嘘つくし、調子いいとこすごいあるんだけど、Kと出会えてなかったらそれはそれで絶対に嫌な訳で、巡り合わせてくれたシェアハウスにも、T君にも感謝している。
やはり、言葉にならない。
ちなみに、KはTともバンドを組んでるため、というかそっちがメインなんだけど、僕が出た後だけどKもシェアハウスに住んでいた。
そして、その後僕と全く同じ最寄りの同じ大家さんの物件に住むっていう、なんとも面白い状況。
それからKz君。
同じ大学の一個上の先輩。
だけど、僕が高校卒業してから2年旅して遅れて入学したので、僕の高校の後輩なのに、大学では先輩という謎の関係性。
この子がまた映画オタクで面白い訳なんだけど、その子が今の奥さんと出会ったのはそのシェアハウスだったりする。
しかも、その奥さんというのが僕の飲み友達のKyさん。イニシャルKが多いな。
元々、Kz君は会社が忙しくほとんど家に帰れず、寂しいのもあるしということでシェアハウス2年目くらいに越してきた。
僕は以前から、ご近所だったKyさんとよく飲んでいたのだが、ある日そこに、帰宅したKz君と出会う。
ハチミツとクローバーという漫画を読んだことある方は、わかるかもしれないが、
僕は「人が恋におちる瞬間をはじめてみてしまった」のだった。
Kz君の一目惚れ。
そこから、半年を経て交際に、今年入籍した。
交際前はよく相談も受けていた。
絶対に似合うというか、上手くいくと思ってたからこそ、交際の報告を決まった時は本当に嬉しかった。
入籍の報告は、「おぉ、ついにか」くらいで驚きはしなかったけど、感慨深いものがあった。
2人は馴れ初めを、人にどう説明するのだろう。
「友達の友達で」で簡単にすむが、詳しく話せばなかなか、ややこしい説明にもなりそうだ。
あのシェアハウスがなければ、この2人は出会ってないのかと思うと、巡り合わせを強く感じる。
やはり、言葉にならない。
それから、Tkさん。
大学のサークルの先輩で、大学以降は「もう会うことはないだろうな」とか思ってた人。
だって、その時仲良くなかったもの笑
そんな人と、再会したのはTとKのバンドのレコーディングに遊びに行った時。
Tkさんは、TとKとバンドを組んでいたのだった。
会った瞬間、「……だよね!!笑」と笑い合った。
巡り合わせとは本当に面白いものだ。
一緒にはあんまり住んでないけど、何度も酒を飲んだ。
お互い母親を亡くしていたり、寂しがりだったり、似てるとこもあった。
人見知りだからこそ、距離が近くなるとちょっと子供っぽくて、指摘するとすぐむくれちゃったりもする。
信頼の現れなのか、身内にはわがままな内弁慶。
可愛いし、面倒臭い。
そんなTkさん。
飲んでて、よく「それはアキラだからじゃん!!」ってよく言われたっけ。
幾分ストレートな発言をする僕はTkさんからすると疎ましい、煙い存在だったと思う。ごめんね。
だけど、僕はまた飲みたいな。
うん。また、飲みたい。
それから、一緒にシェアハウスを立ち上げたMとKsちゃん。
Ksちゃん、今何してるのかな。
仲が悪いとかじゃないけど、正直な話疎遠になった。
「楽しそう!一緒に住みたい!」と言ってくれて、住んだけど東京の生活に馴染めなかったのか、僕らと合わなかったのか、大阪に帰ってしまった。
と、思ったら数年後に東京に引っ越したとかきいて、行ったり来たりしてた。
やりたいこと見つかったかな。幸せならそれでいいのだが。
facebookも更新してないようだけど、周りに囲まれている写真も見る感じでは楽しそうにやってるみたいで安心。
MとTとKsちゃんと最後に行った、ディズニーシー、面白かったなぁ。。。
僕はディズニー似合わないわ、TとMははしゃぐわで。
どこかでまた会えるといいな。
最後に、M。
もう、こいつは書ききれないので割愛する。
親友というには照れくさいし、少し違う気もする。
家族のような、兄弟のような、そんな存在に近いかもしれない。
一度、そいつが家を出た時に書いた文章があるのでいつかアップするかもしれない。
今は感謝だけ述べよう。
退去日に立ち会った時、がらんとした家を見ると、走馬灯のように色んなことを思い出した。
あの家に来た人のこと、起こったこと、経験したこと。
書ききれない日々。
遊びに来た人は、数知れない。
だけど、今疎遠になっている人も多い。
少し寂しくも、人間関係なんてそんなものなのかもしれない。
いくつか恋もした。ひどく辛い、それでいて忘れられない恋もした。
初めて、体温を感じるような瞬間。
胃に鉛が沈み込むような瞬間。
ひどく渇いた夜。
ひとり、何度もギターを爪弾いてた。
色んなことで涙も流した。
そして、それ以上に楽しかった思い出。
とにかく、笑った。飲んだ。
色んな事を語らった。喧嘩もした。
疎遠になった人もいるけど、それ以上に大好きな仲間もできた。
きっと、あの家がなければ、僕は全く違う人間になっていたと思う。
そもそも、「シェアハウスを借りる」ということ自体珍しい。
恐らく、大多数の人が経験できないことも多くしたと思う。
20代の多感な時期に、あの家で暮らせたのは、そして色んな人に出会えたのは貴重な財産だと思う。
あの家で過ごしたことで、他人と共同生活を送ることで、
幾分、人を思いやれるようになったかもしれない。
優しくなれたかもしれない。
人と、人との向き合い方を学んだかもしれない。
反面弱くなった気もする。
寂しがりにもなったかもしれない。
傲慢にもなったかもしれない。
良い部分も、悪い部分もきっとあるだろう。
ただ一つ言えるのは、人として大きくなったのは間違いないと思う。
あの家に、僕に、みんなに、関わってくれた全ての人と縁に感謝したい。
そんな風に思える人生を歩んでこれて、よかった。
「オカン、見てたかな。僕はとても恵まれていたよ」