「オカンが逝って6年目の今日、思うこと。」
「オカンが逝って6年目の今日、思うこと。」
「あぁ、今日が命日か」
そう気付くのに大分時間がかかった。
他の事に意識がいってしまってるのもあるが、その気づきの遅さに寂しさもあれば安堵もする。
6年前、最愛の母が他界した。
僕が幼い頃に乳癌を患い、治療の後健康な日々もあったがやはり再発し、最後は全身に転移して逝った。
弱音を吐かない、強い強い母だった。
母というには少し違和感があるので、やはり呼んでたようにオカンと書く事にする。
その強い強いオカンは、最後の最後まで家族の心配をしていた。
「あんた仕事は?学校は?」そんな風に僕や姉に声をかけた。
最後の言葉は「昨日より、しんどいわ。なんでやろ?」だった。
今となっては笑ってしまいそうな言葉だが、オカンは最後の最後まで戦っていて、到底死ぬなんて考えていなかったんだと思う。
「そりゃ、そうよ!だってオカン死んでまうんやもん!」とツっこみたくなってしまう。
後に父親から聞いた話だが、お医者さん曰く「到底生きてる人の身体ではなかった」そうだ。
ほぼ心臓は機能せず、なぜ生きてるかわからない状態で僕らと会話をしていたらしい。
想像もつかない気力でオカンは生きていたのだろう。
誇りに思う。
今、新型コロナウィルスで世の中は大変な事になっている。
こんなご時世でオカンが生きてたらどうしてだろう。
きっと、色んな事を言われるだろう。
「とにかく家におるまっし!」(金沢弁でいなさい!みたいな事)
「どこにも行ったらダメねんよ!」
「仕事大丈夫なん?」
「友達の◯◯も大丈夫?」
「オカン、マスクたっくさん作るし友達にも配ってあげて!」
きっと、オカンはそう言うだろう。
おしゃべりで、天然で、よく怒ってはよく泣き、いつも僕らを心配してくれる人だった。
コロナの影響で、僕の仕事はなくなった。
情けない話だが、フリーランスの映像制作で日々なんとか生活していたような人間は、こう言う時脆いものだ。
それでも何かできる事ないかと、模索した中で一つだけ世の中の役に立てそうな事を見つけた。
上手くいくかわからない。
ただでさえお金のない中で身銭を切って、起業するなんて無茶だとも思う。
今まで、「映像を作る」ということしかしてこなかった人間だ。
大学だってその専門。
一般常識や経済の事なんて恥ずかしいくらい知らない。
少数派だと思う。
正直、滅茶苦茶怖い。
それでも、何もしないでいるよりはマシだと思う。
きっと、オカンが生きてたら、
「やらんかいね!」(金沢弁でやりなさい!)
と言ってくれると思う。
優しい人だった。
今の段階で、起業もできない可能性もある。
問題が山積みで果てしない。
たくさんある歯車が上手くハマってくれる事を切に願う。
オカン、今年の七回忌は家族で会うことすらできなかったよ。
でも腐らずに頑張るからさ、
上手くいくように巡り合わせてください。
今日、親父と姉から聞いたよ。
墓参りで偶然同じタイミングで会ったって。
驚いてたよ。「きっとオカンの仕業やね」って。
そんな風に巡り合わせてください。
上手くいきますよう。。。