MINATO_Akiraのブログ

ポストロック・バンド MINATOのギターAkiraのブログ。

『新年』

『新年』
 
昨年は、ひどく散漫な一年だった。
珍しく落ち込んだ気分で新年を迎えた。
 
 
フリーランスになって3年目。
有難いことに仕事は増えて、お世話になった人の手伝い等を除けば、アルバイトは全くやらなくなった。
手に職、というものを実感する一年だったかもしれない。
今までの、時給1000円だ2000円だという感覚で働かなくなった。
お世話になっている尊敬するディレクターさんから、何度も嬉しい言葉も貰えた。
「対価に見合ったそれだけの能力がある」そう認められた気がした。
 
 
帰省した際に、1日あたりのギャラの話を親父にすると「お前、そんなに貰っとるんか!!」と驚かれた。
勿論、企業に属して保証がついてる訳でもないし、いつ仕事がこなくなるかもしれないというリスクを考えれば妥当な値段ではある。それ以前に、この仕事では相場な値段な訳で、別に僕自身が特別すごい訳ではない。
なんなら業界の中ではまだまだ安い方だろう。
そして、勿論そういった仕事が毎日ある訳ではない。
ただ、やはり僕もその金額に慣れるまでは時間がかかった。
今、「見積もりを出して」と言われて、「まぁ、これくらいは貰わないと困るなぁ」という昔の自分にはなかった金銭感覚が自然に身についている事の方が驚く。
フリーターに毛が生えたようなフリーランスから、やっと胸はって「フリーランスです」と言えるようになったのかもしれない。
簡単な話、前よりも少しだけ稼げるようになったのかもしれない。
なんだ、いい一年だったじゃないか。
仕事の面だけ見れば、そう思えるような気もするから怖い。
それに気づかなかったのが、つい最近までの事だ。
 
昨年の9月、一年間やっていた大口のレギュラーの仕事がなくなった。収入の大多数を占めていた。
それは僕のせいなのか、取引先の問題なのか、予算の問題なのかわからない。
全部なような気もするけど、原因はわからない。事実、仕事はなくなった。
単発で頂ける仕事をこなしながら、10月末になった。
その時の11月のスケジュールは白紙にだった。
全くの白紙。
いよいよ、やばいかもしれない。
久しぶりにバイトをしなくてはいけない、そう思った。
だけど、いざ11月に入るとバタバタと仕事が入って、結果いつもと同じくらい稼げた。
こういう仕事だから上がり下がりはある。それは致し方無い。
だけど、何がマズかったかというと、僕はその時、自分で自分の身の振り方を考えられなくなっていた。
 
 
就職をするのか、このまま踏ん張って仕事が貰えるようにスキルを磨くのか、どう生きて何がしたいかが明確にわからなくなってしまった。
就職のための活動もせず、生活の基盤となるバイトを探すわけでもなく、
その時の僕は、「とりあえず春までは、日銭稼いでのんびりしよう」くらいに考えていた。
随分と甘く、ひどく散漫で怠惰な思考回路だった。
友達と話したおかげで、そんな悠長な考えは無くなったが、依然として「やりたい事」は不明瞭なままだった。
有難いことに仕事は頂けてたおかげで、金銭の心配は無くなったが、いざその時が来た時にどういう対処もできない状態だった。
 
足元が割れた流氷の上で、立ちすくんでいた。
足元がしっかりした岸に飛び移ることも、同じように流れている流氷に移ることも、何もできずただ漂っていた。
自分で思うのもなんだが、思い立ったらすぐに行動できる方だ。
それだけに、行動ができない。どう動いていいかわからない。
自分がどうなりたいと言う目標が見えないのは、ひどく不安でいて情けなかった。
 
原因の一つはわかっている。
事実上、僕の心の要になっているMINATOが活動休止になっている事だ。
メンバーが多忙になり、スタジオもろくに入れていない。
だけど、それは「時間のある中でやろう」と組んだバンドの手前、仕方がないとは思っていた。
その、「仕方がない」が僕の目をどんどん曇らせて言った。
 
またもう一つの原因は同棲だった。
有難いことに僕なんかと一緒に暮らそうなんていう奇特な人がいる。
そして、自分の時間はやはり無くなってしまう。
元来より料理好きな性格な為、料理担当は自分になる。普段の食事も変わる。一人だと簡単に済ませてた食事も、ちゃんと作るようになる。ともあれば買い物も多くなる。家でも飲む頻度も多くなった。
一緒にゲームなんかもするようになったし、出かけたりもする。
暇があればギターを触ってたのが、触らなくなる。映画も本も触れる時間が減って行く。
それでも当たり前だけど、幸せでないわけがなく、ゆっくりと心が肥えていった。余分な脂肪がべったりと心にまとわりついて、どんどん動きが鈍くなっていく。パートナーを言い訳にするなんて愚の骨頂にも思うが、事実でもあるから怖い。そうして、段々「何がやりたい」かわからなくなっていった。「誰かといる」だけで人は肯定される。それでいて幸福を感じる。逆を言えば寂しくないわけだ。恋愛はなんてお手軽で充実感を得られるものだと感心すると同時に、気持ち悪さも感じる。あぁ、そうか。だからみんな恋愛をするんだな、と改めて思う。そういう側面だけ見れば吐き気がする。
 
 
やりたいことができない、仕事は浮き沈みあれど、食っていけてる。
病める事はあれど、パートナーもいて、楽しい時間を過ごせる友達もいて、日々の焦燥は限りなく薄められていた。
そのため、今年を振り返った時に、「まぁ、幾分働いたし良い年だったのかな」とすら思えた。
だけど、どうにも腑に落ちない気がしてならなかった。
なんかおかしい、と。
 
去年に書いた自分の気持ちを読み直してみた。
そこには「形にしたい」と書かれていた。
 
『日々、少しずつ静かに、時に劇的に環境は変化する。
 その中で、自分がどれだけ自分に甘えずにやれるか。
 緩みきった線を張り直したい。
 そんな一年にしたい。』
 
そんな風に書いていた。
その真逆を行った一年だった。
甘えた。仕事に。私生活に。
緩みきった線はさらに緩んだ。
望んだ一年ではなかった。
 
 
仕事は順調だったかもしれない。
その一点で、僕は色んな事に目を瞑って何の努力もしてなかった。
仕事が順調。そんなのは当たり前なんだ。
ましてやフリーランスで働いてる人間だ。
常に上向きじゃなくてどうする。
今年は本当に自分の活力の無さに幻滅した。
 
もっとやれよ。
酒ばっか飲んでんじゃねぇよ。
日常が欲しくて、今の仕事についたわけじゃないだろう。
こんなにも弱い人間だったのかよ。
MINATO ができないことを言い訳に、腐ってるんじゃねぇよ。
やれることいっぱいあんだろうが。なければ探せよ。
いつから理屈並べて動かなくなった。
人や環境を言い訳にするなよ。
 
動けてないのは、事実「自分」だろ。。。
 
僕はいつからか、僕自身が遠ざけて来た人達になろうとしていた。
やりたいことは言うくせに何も行動を起こせない人。
続けられない人。
今の自分を変えたいくせにくだらない言い訳で動かない人。
なりたい自分を見失って日々を消費する人。
 
 
汗水垂らして稼いだ金で、自分自身を肥えさせて何の意味があるんだろう。
消費するだけの日々で何が生まれるんだ。 
今年はもっとがむしゃらに生きていきたい。
学生の頃、貧乏でどうしようもなかったあの頃の方が、よほど前のめりだっただろう。
MINATOが活動再開できた時に、フルパワーで動ける感性を身につけていたい。
仕事は仕事。人は人。自分の道は自分の道。
 
大人になったからこそ、できる遊びもあれば過ごせる時間もある。
それを捨てたいわけじゃない。
メリハリをつけると言うこと。
環境を自分で変えると言うこと。
今年こそ何かするとは言わない。
そんな簡単にできるほどの力が今の自分にないのはわかっている。
エネルギーを取り戻して、無駄な脂を削いで、走れるように。
今年の末に、「悪くなかった」と言えるように。
自分に幻滅するなんてこりごりだ。
 
全てに満足するな。
疑え。目を凝らせ。
心を砥げ。