『随分遠いところ。』
『随分遠いところ。』
計らずも過去を振り返ってしまうと、嬉しい事もたくさんあるし、苦しい事もたくさんある。
あったかい気持ちにもなる。安らぐ事もある。
でも、胃に鉛が沈むような、頭の血の気がサーっと引くような、どうにもならない事になる時がある。
昨日、たまたまバンドメンバーのギターと二人で飲んだ。
二人で飲むのは恐らく結成前以来。
三年半以上も前になる。
ドラムと二人で飲むことはよくあるが、ギターは家が神奈川という事もあって、よくよく考えてみれば久しぶりだった。
勿論、二人きりでなくとも真面目な話もくだらない話もしょっちゅうしているから、別段変わったことはない。
ただ、二人という事があってか、なんとなく自然と昔話をした。
出会った頃の話、仲良くなった時に二人で行ったライブの話、結成前に飲んだ時の話、結成時の話etc…
今もこの関係が続いてるからこそなんだろうが、それは、とても楽しく心地のいい時間だった。
当時、自分たちがどう思っていたか、どんな環境だったか、ポロポロと出てくる昔話は酔いと同じように身体を巡った。
小学校の同級生と飲む時もそうだろう。
なんの生産性もない、過去の話。未来の話なんて、ほんのちょっと。
それが、心地よかったりする。
ただたった今、その過去や記憶に殺されそうになった。
仕事の都合上、データの整理をしていた。
容量がいっぱいになって、古いHDDも引っ張り出して、移したり消したりの繰り返し。
そんな中、写真やら動画やら、色んなものが出てくる。
昨日のように、思い出で心地よい気持ちになれるかと思いきやとんでもなかった。
楽しい思い出も勿論あるが、同時に隠れている当時の感情。
叶わなかった願い達。
その時にはあって、今はとっくに捨ててきたもの。
その時代も感じて、未来を侘しくも思う。
僕の周りで、もうどれだけの人間がFaceBookを日常的に使ってるんだろう。
僕も随分、投稿しなくなった。
きっと、そのうち消えてるのかもしれない。
頻繁に会わなくても、近況を知れる画期的だったシステムは、他者を通してどこまでも「自分」とその現実を写すものになった。
報告が承認欲求になって、それに気づいて辟易する。
あれだけ、繋がっていたかった人達は、知らない内にいなくなってる。
報告も干渉もない、薄いアカウントの束。
それでも、個人的には縁があれば連絡をしたい人達がいるから、できる事なら残っていてほしいな。Facebook。
話が逸れた。
時代が進む。環境が変わる。
過去に熱望していたものは、叶わずに「いつか叶えるもの」ですらなくなる。
それが苦しい。
戻って取りに帰れない「やり残し」
後悔でもなく、ただできなかった事。
届かなかった事。
気づけなかった事。
許せなかった事。
いろんなこと。
随分、遠いところに来た。
あの頃の僕が想像もしていなかった場所。
望むべくして来たはずなのに、気づけば登りたかった山は随分違うところにある。
見たかった景色を知れないまま、違った景色で感動している。
これから、どこに向かうのだろうか。
それは単なる迷いではなく、勿論迷いはあれど、過去を振り返って思う未来の不確かさ。
「これだけは譲れない」と思っていたものは離れてしまうのだろうか。
「特に興味ない」と思っていたものに、夢中になるのだろうか。
僕の置いて来た「やり残し」は、寂しそうにこっちを見ていた。
ゴメンね、と申し訳なく笑うことしかできない。
これからは、できるだけ置いていかないよ、と言いたい。
だけど、きっと少しずつ溢れていくんだろう。
だとしたら、できるだけでいいから、ほんの少しでも、気づいて溢さないようにしたい。
その数が少なければ少ない程、成長できるような気がする。
人に優しくなれる気がする。
あなたに会いたい。
君に会いたい。
彼女は泣いてないかな。
彼は前を向いてるかな。
僕は今日少し苦しくて、少し笑えた。
明日はいらないんだけど、未来は見たい。
ここがどこかも知らないけれど。
笑っていいよ。